濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】

濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】

378円

濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】

濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】:また、東京には専用の配送センターがあり、毎日1000件以上の注文を発送しています。 激安通販販売,セール特価,限定タイムセール濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】

2022年2月 4日 (金)

ふたつの2番 チャイコフスキー&ブラームス アバド指揮

Nino-3

わが吾妻山の菜の花と背景の相模湾

春の兆しは1月終わりぐらいからもうやってきてます。

晴れと寒さも加わり、今年の吾妻山はことさらに美しく、カメラを構える方も多数。

今日は、アバドの若き日々のふたつの2番を。

ともにすでにブログで書いておりますが、アバドらしさ満載です。

チャイコフスキーとブラームスの交響曲第2番。

どちらが先に書かれたか?

ブラームス!と思ってしまいますが、実はチャイコフスキーの2番の方が先に書かれてます。

チャイコフスキーの2番が1872年、ブラームスの2番が1877年。

ブラームスは1833年生れ、1897年没。
チャイコフスキーは1840年生れ、1893年没、ということで、チャイコフスキーの方が後に生まれ、先に亡くなっています。
いかに、ブラームスが慎重で晩成型のタイプであったことがわかるし、チャイコフスキーが才能を早くから開花させ、そして急ぐようにして急逝してしまったか・・・・

しかし、これら2番に共通するのは、南へのあこがれと、それを堪能した解放感です。
チャイコフスキーは、ウクライナの南方にあるカムヤンカというモルドバ寄りのドニエストル川流域の地で夏の休暇を過ごし、そこでウクライナ民謡などを取り入れつつ作曲。
ブラームスは、オーストリアの風光明媚なウェルター湖畔ペルチャッハで、同じく6月から10月までの夏のタイミングで作曲。
ともに、明らかに明るさが基調となる素敵な交響曲となりました。

その2曲を若いアバドはDGに録音。

Tchaikovsky-2-abbado

 チャイコフスキー 交響曲第2番 ハ短調 op.17

  クラウディオ・アバド指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1968.2.20 @ロンドン) ジャケットは借り物です

アバドがレコードデビューしてまだ2年、ロンドン響との録音も始まっていたが、同時期に共演を始めていたニュー・フィルハーモニア管とのいまでは希少な録音。
同オーケストラとは、あと、ブラームスのカンタータ「リナルド」があります。
ともかく渋いところを30代初めのアバドは責めてました。

DGがそんなアバドに注目してレコーディングパートナーにしたけど、必ずしも演奏会の演目と並行して録音したわけじゃないみたいだ。
いつもお世話になっておりますアバド資料館を拝見しますと、このチャイコフスキーも次のブラームスも同時期の演奏会記録にはなくて、録音だけの曲目選択だったと思われます。
いまでは考えられないことだけど、かつては、レーベルやプロデューサーの意向で、そんな采配ができた。
さらにデータを見ると、同じ1968年2月、アルゲリッチとショパンとリストを録音していて、そちらはロンドン響。

むかしのレコ芸で、高崎保男先生が、ニュー・フィルハモニアを指揮するアバドのトリスタン前奏曲と愛の死を聴いたことを書いておられ、60年代のアバドがどんなトリスタンを演奏していたのか、ともかく気になってしょうがなかった思いがありました。

8年経過して1楽章を全面的に改定した版を作って、いまがそれが定番となりましたが、全編明るい雰囲気のただよう2番を、イタリア人が奔放に指揮した、というような評価ばかりだった。
しかし、あっけらかんとした終楽章にも、アバドらしい冷静さを伺えるとともに、何と言っても、この曲の魅力であるロシアの抒情にあふれた、それはファンタジックな1番にも通じる第1楽章の演奏が、旋律美とリズム感にあふれまくっていて、そのあたりの抒情を巧みに引き出し、メリハリとともに、全体のバランスも見事にとった構成感を感じさせる真摯な演奏なのであります。
16年後のシカゴとの演奏もアバドゆえに好きだけど、オケが立派すぎるし、録音に雰囲気が少なすぎるので、比べたら旧盤の方が好き。
随所にあらわれるアバドの歌心と表情の若々しさ。
イギリスのオーケストラのニュートラルさも、この時期のアバドの感性をそのまま映し出してくれるようだ。
それにしてもウクライナ・・・・・いかになるのでしょう。

Brahms-2-abbado_20220131081601

    ブラームス 交響曲第2番 ニ長調  Op.73

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

   (1970.11 @イエス・キリスト教会、ベルリン)ジャケットは借り物です

1970年といえば、日本では大阪万博の年でアポロ11号が月から持ち帰った「月の石」で大フィーバーしていた。
音楽界でも、世界中のオーケストラやオペラ、ソリストたちが次々に来日、おまけにベートーヴェンの生誕200年の年でもありました。
カラヤンとベルリンフィルは5月に来日し、大阪でベートーヴェン・チクルスを行い、東京でもベートーヴェン、ブラームス、幻想、チャイコフスキー5番などを演奏していて、そのプログラム数の多さはいまでは考えられないくらいだ。

その年の秋の録音であるアバドとのブラームス2番。
カラヤンが文字通り独占状態だったベルリンフィルのレコーディングは、ベーム、ヨッフム、ライトナー、なぜかプロデューサーのゲルデス以外にDGへの録音はなかなかなされなかった時分。
若いイタリア人指揮者がカラヤンの主力レパートリーのひとつをベルリンフィルでいきなり録音することは、当時の感覚からすると驚きでした。

このレコードが発売されたときは、自分は中学生で、当時のNHKは、新譜レコードをよく放送してくれていたものだからFMで聴いた記憶があります。
ブラームスはなぜか4番しか聴いたことがなく、1番すらよく知らなかった自分にとって、ともかく明るくきれいな曲だな、という印象でした。
そして当時のレコ芸などでも、このアバド盤は絶賛されていて、この曲の決定盤は、カラヤンかアバドだとかされてました。
数年後に、4つのオーケストラを振り分けた交響曲全集で、ようやく正規にレコードを購入しました。→ブラームス 交響曲全集
全集のなかで、この2番がいまだに一番いい演奏だと思うし、のちの88年の再録音よりも自分は好きですね。
 なんたって、若やいだ、のびのびとした演奏で、北からやってきたブラームスが、春光あふれる自然のなかでくつろいでるような、そんなイメージなんです。
歌にあふれた演奏、美しい弱音、均整のとれた全曲を見通す構成感など、後世にずっと変わらないアバドの個性がここに満載です。

Azumayama-d

相模湾に、小田原の街、箱根の山

春はもう少し

Azumayama-f

アバドの若き日々の演奏に、こちらも若き日々を思い起こし、なんだかとても爽やかな気分になれました。

| | コメント (4)

2022年1月20日 (木)

マーラー 交響曲第9番 アバド指揮

Azumayama-a

晴れた冬の日の朝。

二宮町の吾妻山からの富士。

右手は丹沢連峰で、大山はもう少し右手。

Azumayama-c

相模湾方面に目を転じれば、箱根の山と小田原の街。

ふもとの小学校時代から、ずっと登って親しんできた小さな山ですが、今年はとりわけきれいだった。

テレビやマスコミにもこの町の、都会に比べると何もないが自然があるという魅力が報じられるようになり、若い人たちの移住も増えてきた。

長寿の街に、若い息吹きを感じるこの頃です。

Mahler-9-abbado

  マーラー 交響曲第9番 ニ長調

   クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

        (2010.8 @コングレスザール、ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

2014年の今日、アバドは旅立ってしまいました。

享年80歳、いろんなプロジェクトをかかえ、まだまだ活動の幅を広げていた時分のアバドでした。

アバドの死を知ったときの驚愕の朝。

「さようならアバド」

アバドのもとに集まった、腕っこきの奏者たちによるスーパー・オーケストラ、ルツェルン祝祭管とのマーラー・シリーズの最後は第9。
翌2011年には、10番を取り上げましたがアダージョのみ。
8番を残して、マーラーシリーズは終わってしまいましたが、その8番は、後任のシャイーが2016年に取り上げ、ルツェルン祝祭管のマーラーは完結しました。

トスカニーニが始めたルツェルンのオーケストラ。
アバドはベルリンフィルを辞めるとき、このあとは何をするんですか?と聞かれ、すごいことを企画してるからお楽しみに~的な発言をしてまして、2003年にベルリンフィルのメンバーに、ヨーロッパのオーケストラの首席や名ソリスト、室内楽団などの奏者たちで創設された新ルツェルン祝祭管弦楽団をスタートさせました。
このスーパーオケに、アバドが育てたマーラー・チェンバーの若い奏者たちも加わり、2010年のこちらのDVDでは、若い顔がかなり目立ちます。

76年からスタートしたアバドのマーラー録音。
シカゴとウィーンとで順調に録音を重ねたが、8番と9番を前にしていったん停止。
8番はともかく、アバドは9番に対してとても慎重でした。
シカゴでなくウィーンを選んだのも、得意とする新ウィーン楽派を意識したものかもしれないが、ついに実現したアバドのマーラー9番に狂気乱舞したが、もう30年が経過した。
そのあと、ベルリンフィル、マーラー・ユーゲントとライブ録音を残し、ついにルツェルンで9番を指揮したのが11年前。

Abbado-mahler-9

テンポも年月とともに伸びました。
マーラー・ユーゲントとの演奏はローマでのライブで、若い奏者たちと聴衆たちの影響もあったのでしょうか、かなり自在な演奏にも聴こえますし、熱い演奏でした。
ウィーン、ベルリン、ルツェルンと名オーケストラとの演奏が残されたのはありがたいことです。
シカゴでも聴いてみたかった。

1_20220120113101

ここでの演奏は、もう言葉にするのも無駄なことに思えるくらい、突き詰められた究極の演奏行為だ。
流れるようないつものアバドの流線形的な指揮は、つねにしなやかで、どんなフォルテでも柔らかく、どんなピアニシモでも歌は忘れない。
アバドの意志を100%理解し汲んだオーケストラは、アバドの指揮と音楽とに完全に没頭していて、それこそ食い入るように演奏している様が映像でよくわかる。
緻密で、それこそ新ウィーン楽派への橋渡しも感じられる1楽章。
にこやかな笑みすら浮かべながら指揮をする2楽章、オーケストラの驚異的な高性能ぶりが燦然と輝く3楽章、ここでもアバドはしなやかさの極致で微笑みも。
感動の極みを味わえる終楽章。
まったくさりげなく始まるが、分厚い弦に無常すら感じさせる管の名手たちの音色が乗り、音楽はどんどん無色透明になっていく感じ。
これまでの録音のなかで、一番テンポが遅くなり、音に込めた思いが強いはずながら、その音は繰り返しますが透明感が高い。
クライマックスの後の、弦の引き伸ばしも壮絶。
「死に絶えるように」のラストシーンは究極なまでの静けさに、息をするのもはばかれるような思いになります。
音が消えてもアバドが指揮棒を胸の前に握りしめて、オーケストラも動きを止め、聴衆も身じろぎもしない。
この静寂も音楽の一部であることを実感できる。

マーラー・ユーゲントとのDVDでも、ラストは照明を落とす演出がなされたが、このルツェルンでもあの時ほどではないが、会場は暗くなり、いやでも静寂を味わい噛みしめることを余儀なくされる。
2006年のこのコンビの来日公演での6番の終結でも、同じく静寂が訪れました。
あのときは、演奏のすごさ、すさまじさに唖然としてしまい、加えてオーケストラメンバーたちの感動もすべてを停止させてしまう伝播となりました。
6番のあとと、この9番のあとの静寂は意味合いが違うと思います。
音楽の持つ必然性をアバドが意識し、そして聴衆もすんなりと受け入れたのだろう。

5_20220120113001

ともかく、この第9の映像を伴った演奏は、アバドのマーラーの到達点であるとともに、数あるマーラーの第9の演奏のなかでトップに位置するものだと思います。
このルツェルンの演奏会に一緒に渡航しませんか?とのお誘いもいただき、真剣に行きたかったけれど、資金的にも仕事的にもあきらめたことを覚えてます。
何をおいても行ってしまうんだった・・・
2013年の秋に、アバド&ルツェルンは再来日を予定されていましたが、アバドの体調悪化で中止となりました。
だから、私がアバドの指揮に出会えたのは、2006年が最後となりました。

Azumayama-b

クラウディオ・アバドの命日に、早い春の菜の花を手向けたいと思います。

いま吾妻山は菜の花が満開です。

 1月20日 過去記事

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」

| | コメント (2)

2022年1月 9日 (日)

フィンジ ディエス・ナタリス

C_20220107134701

正月も過ぎ、松も明け、毎日が矢のように過ぎてしまう。

月日がほんと早い。

心落ち着くジェラルド・フィンジを聴く。

Finzi-collon-1

     フィンジ(1901~1956) 作品集 

 ①祝典讃歌「見よ、満ち足りた最後の生贄」

 ② ディエス・ナタリスよりアリア「挨拶」

 ③ シルヴィアって?

 ④ 3つの独り言~恋の骨折り損

 ⑤ 清く穏やかな流れ

 ⑥ ローリクム・ロールム

 ⑦ Introit 入祭唱

 ⑧ Come away , come away ,Death 来たれ 死よ

 ⑨ 前奏曲 ヘ短調

 ⑩ ロマンス 変ホ長調

 ⑪ リズビー・ブラウンに

 ⑫ ディエス・ナタリス~イントラーダ

 ⑬ もはや灼熱の太陽も怖れるな

 ⑭ セヴァーン狂詩曲

 ⑮ エクローグ ヘ長調

   Sax:エイミー・ディクソン ①②⑥⑧⑪⑬


   Vn:トーマス・グールド ⑦

   Pf:トム・ポスター ⑮

   Hr:ニコラス・フリューイ ③

 ニコラス・コロン指揮 オーロラ・オーケストラ
   
    (2015.7,8  @フェアフィールド・ホール、クロイドン)

フィンジの作品ばかりを集めたCDは、マリナー以来かもしれない。
しかもメジャーレーベルで。

ニコラス・コロンは、もうじき39歳のわかいイギリスの指揮者で、彼とティチアーティ、英国ユースオケのメンバーとで2004年に設立した、オーロラ・オーケストラの指揮者を務めている。
彼らの演奏会は、プロムスなどで数年来、視聴しているが、古典~ロマン派系ではピリオド奏法を採用し、立演で行うなかなかに刺激的かつ楽しいものです。
若い彼らは、まさに若いリスナー向けに、解説を入れながら聴きどころを分析しながら演奏したり、また幻想交響曲では、メンバーがいろんなお面を装着して想像力をかきたてるような楽しいコンサートを行ったりしてます。

またコロンは、ハーグのレジデンティオケと、昨年からはフィンランド放送響の首席、ケルン・ギュルツェニヒ管の首席客演ともなってます。
活動の幅を大きく伸ばしつつあり、レパートリーも古典から近現代ものまで広範に収める、今後の注目株であります。

ユニークな活動を続けるコロン&オーロラオケのフィンジ。
その内容も、フィンジの心優しい音楽に徹底的にスポットをあてた1枚となっていて、これもまたユニークなものといえます。
聴く人によっては、もしかしたらムーディに過ぎると思う向きもあるかもしれません。
ここでは、至芸の名曲「エクローグ」を最終に据え、ロマンスや、セヴァーン狂詩曲といった名小品、クリスマスのカンタータ、ディエス・ナタリスから2曲、数ある歌曲集から数曲。
歌曲では、サキソフォーンのソロに編曲されていて、それが素敵なスパイスとなってます。
フィンジ入門編というより、フィンジの音楽にすでに魅了された聴き手が、ここに収録された1曲、1曲のあらたな側面を見いだすような、そんな1枚だと思います。

フィンジの魅力のひとつは、デリケートな歌曲の数々。
ここでは、「いざ花冠を捧げよう」から③と⑧、「地球、空気、そして雨」から⑧と⑬が選択されていて、サキソフォーンとホルンによる声に変わるソロがとてもステキなのであります。
美人さんのエイミー・ディクソンの麗しい演奏。
あとパートソングから弦楽合奏へ編曲された⑤も美しい桂曲。

1楽章の出来栄えに不満を感じ、引っ込めてしまったヴァイオリン協奏曲の2楽章にあたる⑦「intoroit(入祭唱)」は、まさにヴァイオリンとオーケストラによる作品で、美しさ・儚さ、これ極まれりといった抒情にあふれた作品。
このあと、「来たれ死よ」(シェイクスピア詩)が続くものだから泣ける・・・・

楚々たる抒情作、ロマンスは、いまやいくつも演奏があるが、コロン盤の優しさは、曲の並びも手伝い泣けます。
そして、最後は「エクローグ」で締めるフィンジ作品集。

くりかえし、何度も聴いて、ずっと浸っていたい。
窓の外は冬の澄んだ青空。

Finzi-toby-spence-1

  フィンジ カンタータ「ディエス・ナタリス」

    T:トビー・スペンス

   スコテッシュ・アンサンブル

     (2007.10 @ウィグモア・ホール、ロンドン)

コロンのフィンジ集に、2曲おさめられた5つの部分からなるカンタータ。
「生誕の日」または「クリスマス」と邦題として訳される20分あまりの作品。
1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


いずれもフィンジらしい、滋味と抒情にあふれた音楽で、そこに哀しみもたたえた雰囲気があるのも、まさにこの作曲者ならでは。
この曲、これまで何度かblogに残してきましたが、テノールによる歌唱を前提とし、ソプラノでもOKとされてます。
清潔なソプラノでの歌唱も素晴らしいのですが、やはり繊細なイギリス系のテノールで聴くのが味わいも深いというもの。

とりわけ美しい最終の「挨拶」。
イエスの生誕、その出会いにふるえる自分、清新な心持ちが歌われる。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと

ロンドン生まれのトビー・スペンスは、ヘンデル、モーツァルトからブリテン、アデスまで、広範なレパートリーを持つリリカルなテノールで、ポストリッジと同じような立ち位置にあり、彼よりやや声は強いイメージです。
健康的な明るめの声は、陰りあるポストリッジともまた違い、この健やかなる作品の別の側面を聴かせてくれるように思った。

年が明け、初孫が生まれした。

その無垢なる姿を見て、この腕に抱いたとき、この作品が脳裏に浮かび、響きました。

D_20220107134801

穏やかに、平和でありますように。

| | コメント (0)

2022年1月 3日 (月)

フランク 交響曲 ロンバール指揮

Odawara

2022年が始まりました。

高校時代に通った小田原です。

個人的にも新年早々、大きな出来事もあり、それこそめでたしですが、今年は他にも自分にとって大きな変化があります。

それはともかくとして、日本も世界も、自然災害や政治、国際関係など、激しく動くものと予見します。

でも、どんなときにも、音楽は片ときも手放せません。

今年のアニバーサリー作曲家は、フランクやV=ウィリアムス、スクリャービン、アルヴェーンなどなどで、ちょっと渋いですね。

Franck-sym-lombard-1

      フランク 交響曲 ニ短調

 アラン・ロンバール指揮 ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団

         (1995 @ボルドー)

生誕200年のセザール・フランク(1822~1890)
交響曲、交響詩いくつか、交響的変奏曲、ヴァイオリンソナタ、ピアノ五重奏曲、「至福」ぐらいしか聴いてない作曲家フランク。
交響曲だけは、20枚以上もそろえてしまったけれど、それだけは近くて、あとは自分にはなんだか遠いフランク。
ワーグナーと同時代のフランクだが、ワーグナーの音楽とは対極にあるようでいて、でも熱い宗教心が情熱的なうねりを呼ぶ点で、ワーグナーの音楽にも近いともいえるかも。
また、ブルックナーとも2年違いで、ということは、2年後にはブルックナーは生誕200年を迎えるわけだが、そのブルックナーは、フランクが交響曲作曲時は、7番の交響曲を作曲していた時期に重なる。
フランクは66歳にして始めて書いた交響曲。
第2番には行かなかったところもまた、慎ましいフランクらしいところ。
宗教的な感動が背景にあることを抜きに語れないフランクとブルックナーの音楽、ここ1~2年は多くの作品が録音されるものと思われます。

全曲を通じ共通の動機が使われていることから、循環形式と呼ばれる、しっかりした構成をもった音楽。
以前より書いてますが、中学生の時に初めて聴いて、第1楽章で形を変えて反復されるカッコイイ動機に惚れ込み、年をとってからは、第2楽章のイングリッシュ・ホルンの旋律が心に侘びさびのようにしみるようになった。
明るい終楽章の冒頭、やがて全曲を回顧するかのような雰囲気のあと、歓喜の中に終結する。
もっと弾けていいと思うが、でもこのぐらいがフランクらしく、フランクたる由縁の終わり方。
コンサートでも、なかなか盛り上げにくいところも好き。

生国ベルギーのオーケストラの録音は、存外に少ない。
ベルギー出身のクリュイタンスも、この交響曲の正規録音はない。
このあたりも前から思っていた、残念な部分。
少年時代に移住したフランスのオケのものはたくさんあり。
パリのオケばかりでなく、各地のオケによる録音もいろいろあって、フランクの交響曲で、フランス各地のオーケストラめぐりをするのも楽しい。

ボルドーのオーケストラによるこのCDもそのひとつ。
1853年を起点とし、その後、改編や合体をくり返し、ボルドー・オペラとも兼ねる存在となり、1988年にはナショナルの冠がついた。
そのときの音楽監督がアラン・ロンバール。

ロンバールの経歴を過去記事から
1940年生まれ、フランス国内での活動から、1966年のミトロプーロス指揮者コンクール優勝(ちなみに、飯守泰次郎は、このとき4位)。
その後、バーンスタインの助手をつとめ、メトなどで活躍し、オペラ指揮者としての才覚もあらわす。
71年からは、母国ストラスブール・フィルの音楽監督となり、エラートとの契約も成立し、当時、オーケストラ録音にこぎ出したエラートの看板コンビとして、大量の録音を残しました。
 その後は、ボルドー・アキテーヌ管弦楽団、そして、いまは、スイス・イタリア語放送管弦楽団の指揮者として活躍してます。

ストラスブール・フィルとの70年代の録音の数々は、そこそこ聴いたけれども、パリのオケとも違うちょっとドイツっぽいオケを駆使し、またエラートの鮮やかな録音も手伝い、切れ味のいい、かつ明晰な演奏が印象に残っている。
ボルドーとの演奏は、このフランクしか聴いてはいませんが、カルメンやオテロ、マーラーなどの録音も気になるところ。
 このフランクの演奏は、テンポをいきなり動かしたりして、あれれ?と思わせるヶ所が散見されるが、案外に渋い仕上がり。
ストラスブール時代のキレのよさは影をひそめ、ややモッサリ感があるのが以外だけれど、オケがローカルな味わいがあり、2楽章など曲の良さをしみじみと実感できました。
フランス南西部のボルドーのオケは、この時期まだ鄙びた雰囲気を出していた。
もしかしたら、もっとスタイリッシュな演奏だと思われるストラスブールでの旧録音もなんとか聴いて比較してみたい。
ロンバールはやはりオペラの指揮者なんだろうか、不思議な指揮者ロンバール、今回のフランクを久方ぶりに聴いて実感。
超ベテランとしての存在を今後示せるか。いかに。

それにしても、フランクの交響曲は、指揮者とオーケストラによってさま変わりしてしまう正解の演奏のない作品だと思う。
カラヤン、バレンボイム、コンドラシン、ヤンソンス、バルビローリあたりが好き。

ロンバール過去記事

「幻想交響曲」

「ツァラトストラはかく語りき」

Odawara-09

小田原駅近接の商業施設、minaka小田原。



| | コメント (0)

2021年12月30日 (木)

わたしの5大ヴァイオリン協奏曲

A_20211228115901

東京駅丸の内、仲通りのイルミネーション。

とある日曜日に行ったものだから、通りは人であふれてました。

冬のイルミネーションは、空気が澄んでいてとても美しく映えます。

勝手に5大ヴァイオリン協奏曲。

一般的には、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーが4大ヴァイオリン協奏曲。

ここでは、私が好きなヴァイオリン協奏曲ということでご了解ください。

順不同、過去記事の引用多数お許しください。

①コルンゴルト(1897~1957)

Silver_violin_1

   ニコラ・ベネデッティ

 キリル・カラヴィッツ指揮 ボーンマス交響楽団

        (2012.4.6 @サウザンプトン)

好きすぎて困ってるのがコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
順不同とか言いながら、これは、一番好き、自分のナンバーワンコンチェルトです。
若き頃はモーツァルトの再来とまで言われながら、後半生は不遇を囲い、亡くなってのちは、まったく顧みられることのなかったコルンゴルト。
そして、いまや「死の都」は頻繁に上演される演目になり、なによりもこのヴァイオリン協奏曲も、ヴァイオリニストたちのなくてはならぬレパートリーとして、コンサートでもよく取り上げられ、録音も多く行われるようになりました。
1945年、ナチスがもう消え去ったあとに亡命先のアメリカで作曲。
アルマ・マーラーに献呈。
1947年、ハイフェッツによる初演。
しかし、その初演はあまり芳しい結果でなく、ヨーロッパ復帰を根差したコルンゴルトの思いにも水を差す結果に。
濃厚甘味な曲でありながら、健康的で明るい様相も持ち、かつノスタルジックな望郷の思いもそこにのせる。
 11種のCD、10種の録音音源持ってました。
若々しい表情でよく歌い上げたベネデッティの演奏。
銀幕を飾った音楽を集めた1枚で、トータルに素晴らしいのでこちらを選択。
ムター、D・ホープ、シャハムなどの演奏もステキだ!

②ベルク(1885~1935

Berg-faust-abbado

   イザベル・ファウスト

 クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

     (2010.12 @マンツォーニ劇場、ボローニャ)

ベルクのヴァイオリン協奏曲も、このところコンサートで人気の曲。
マーラーの交響曲との相性もよく、5番あたりと組み合わせてよく演奏されてる。
1935年、「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけもあって生まれた協奏曲。
ベルク自身の白鳥の歌となったレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲。
甘味さもありつつ、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。
 音楽の本質にずばり切り込むファウストの意欲あふれるヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へも誘ってくれる。
 10種のCD、12種の録音音源。


③バーバー(1910~1981

Slatkin_hanson_barber

   エルマー・オリヴェイラ

  レナート・スラトキン指揮 セントルイス交響楽団

     (1986.4 @セントルイス)

1940年の作品。
戦争前、バーバーはこんなにロマンテックな音楽を作っていた。
私的初演のヴァイオリンは学生、指揮はライナー。
本格初演は1941年、ヴァイオリンはスポールディング(なんとスポーツ用品のあの人)とオーマンディ。
3楽章の伝統的な急緩急の構成でありますが、バーバー独特の、アメリカン・ノスタルジーに全編満たされている。
 幸せな家族の夕べの団らんのような素敵な第1楽章。

第2楽章の、遠くを望み、目を細めてしまいそうな哀感は、歳を経て、庭に佇み、夕闇に染まってゆく空を眺めるにたるような切ないくらいの抒情的な音楽。
無窮動的な性急かつ短編的な3楽章がきて、あっけないほどに終わってしまう。
この3楽章の浮いた存在は、バーバーのこの協奏曲を聴く時の謎のひとつだが、保守的なばかりでない無調への窓口をもかいま見せる作者の心意気を感じる次第。
 ハンソンのロマンティック交響曲とのカップリングで発売された、アメリカ・ザ・ビューティフルというシリーズの1枚。
ポルトガル系アメリカ人のオリヴェイラのヴァイオリンは、その音色がともかく美しく、よく歌うし、技巧も申し分ない。
加えてスラトキンとセントルイスの絶頂期は、アメリカのいま思えば良き時代と重なり、まさにビューティフルな演奏。
 CDは5種、録音音源は8種。 

④シマノフスキ(1882~1937)

Szymanowski-steinbacher

  アラベラ・シュタインバッハー

 マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団

     (2009.5 @ベルリン)

ポーランドの作曲家シマノフスキの音楽作風はそれぞれの時期に応じて変転し、大きくわけると、3つの作風変化がある。
後期ロマン派風→印象主義・神秘主義風→ポーランド民族主義風
この真ん中の時期の作品がヴァイオリン協奏曲第1番。
ポーランドの哲学者・詩人のタデウシュ・ミチンスキの詩集「5月の夜」という作品に霊感をえた作品で1916年に完成。
 単一楽章で、打楽器多数、ピアノ、チェレスタ、2台のハープを含むフル大編成のオーケストラ編成。
それに対峙するヴァイオリンも超高域からうなりをあげる低音域までを鮮やかに弾きあげ、かつ繊細に表現しなくてはならず、難易度が高い。

鳥のざわめきや鳴き声、透明感と精妙繊細な響きなどドビュッシーやラヴェルに通じるものがあり、ミステリアスで妖しく、かつ甘味な様相は、まさにスクリャービンを思わせるし、東洋的な音階などからは、ロシアのバラキレフやリャードフの雰囲気も感じとることができます。
これらが、混然一体となり、境目なく確たる旋律線もないままに進行する音楽には、もう耳と体をゆだねて浸るしかありません。
 この作品が好きになったのは、ニコラ・ベネデッティとハーディングのCDからだけど、彼女の演奏はコルンゴルトで選んじゃったから、同じ美人さんで、シュタインバッハーとヤノフスキのものを選択。
鮮やかで確かな技巧と美しい音色のヴァイオリンは、万華鏡のようなシマノフスキの音楽を多彩に聴かせてくれます。
 この作品もコンサート登場機会が急上昇中。
CDは3種のみ。録音音源は5種。

⑤ディーリアス(1862~1934)

P9216811

    ユーディ・メニューイン

 メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

   (1976.6 @アビーロードスタジオ)

1916年、グレ・シュール・ロワンにて作者54歳の作品。
 戦火を逃れ、ドイツからロンドンに渡ったディーリアスは、メイ&ビアトリスのヴァイオリンとチェロの姉妹二重奏を聴き感銘を受け、姉妹を前提に、このコンチェルトや二重協奏曲、デュプレで有名なチェロ協奏曲が書かれた。だからイメージは3曲とも、似通っているが、このヴァイオリン協奏曲がいちばん形式的には自由でラプソディーのような雰囲気に満ちているように思う。
単一楽章で、明確な構成を持たず、最初から最後まで、緩やかに、のほほんと時が流れるように、たゆたうようにして過ぎてゆく。
デリック・クックはこの単一楽章を分析して、5つの区分を示し、ディーリアスの構成力を評価したが、わたしはそうした聴き方よりも、感覚的なディーリアスの音楽を自分のなかにある心象風景なども思い起こしながら、身を任せるように聴くのが好き。
フルートとホルン、ヴァイオリンソロでもって、静かに消え入るように終わるヴァイオリン協奏曲。
夢と思い出のなかに音楽が溶け込んでいくかのよう・・・・・
 メニューインとデイヴィスの、いまや伝説級の70年代のEMI録音は、録音も含めて、ジャケットのターナーの絵画のような紗幕のかかったノスタルジーあふれる演奏を聴かせてくれる。
この雰囲気の豊かさは、最新のデジタル録音では味わえないものかもしれないが、だからこそ、タスミン・リトルの新しい録音は是非にも聴かねばならぬと思っている。
CD音源3種、録音音源2種。

B_20211230095601

週1か隔週ぐらいのペースでblogを更新しましたが、今年ほど思わぬ訃報が舞い込んでお別れの記事を書いた年はないかもしれません。

来年はどんな年になりますかどうか。
音楽を聴く環境も様変わりし、コンサートに出向く機会も激減。
いくつも仕掛り中のシリーズを順調に継続したいけど、時間があまりなく、風呂敷を広げすぎたかなと反省中。

| | コメント (0)

2021年12月24日 (金)

クリスマス on ボストン・ポップス

G-13

12月の街には活気が2年ぶりに訪れ、人々のマスクの下には笑顔が戻ってきました。

でも、日本に比べると海外はたいへんなことになってますね。

来年以降の外来演奏家のコンサートは黄色信号のまま。

楽しみにしていた二期会のコンヴィチュニー演出「影のない女」も中止に。。

G-09

キリスト教国でない日本でもクリスマスはこぞってお祝いします。

ワタクシもそのクチです。

クリスマス風の食事をして、クリスマスにまつわる音楽を聴きます。

今年は、ボストン・ポップスの演奏を歴代指揮者で聴いてみました。

Fiedler-christmas-rca-1Fiedler-christmas-dg-1

 CHRISMAS PARTY    (録音年代不詳 RCA)

   WHITE CHRISTMAS  (1970 ボストン DG) 

アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

ボストン生まれのフィードラーは、亡くなるまで49年間にわたり、ボストン・ポップスの指揮者をつとめました。
RCAレーベルに大量のレコーディングを残し、DGがボストン響の録音を始めた70年には、同時にボストン・ポップスもDGに登場するになりました。
その後はデッカにも録音をするようになり、レーベルによって音の雰囲気も変わるようになり、まさに多彩なボストン・ポップスが味わえるようになりました。

おそらく50年代後半あたりの録音と思われるRCA盤は、まさにアメリカのクリスマス・シーンを感じさせる、むかし、アメリカのテレビ番組などで垣間見たようなアットホームな雰囲気ただようもの。
クリスマス音楽の定番ばかりがおさめられてる。
DG盤にはない、ヘンゼルとグレーテルが入っているのがうれしい
録音のほどよい古さもいい感じだ。

Fiedler

そして、DG盤は録音も格段によくなり、バリっとしたばかりか、明るく爽やか、響きも豊かで、ワクワク感も満載。
RCA盤の定番に加え、ここでは、バッハやモーツァルトが加わったのが、DGたるゆえんでしょうか。
ややムーディだけど、バッハのクリスマス・オラトリオのパストラーレが極めて美しい。
また、CDでは、76年録音のバッハの作品が数曲チョイスされてます。
両盤に共通の、ボストン・ポップスの十八番といってもいい、アンダーソンのそり遊びなんて、抜群の演奏でどちらも最高です。
そして、DG盤の最後を締めくくる、ホワイトクリスマスは、まさに聖夜の響き、静かに、じんわり、感動します。

Jwillams-boston-cristmas-1

    Wie Wish You A Merry Christmas 

 ジョン・ウィリアムス指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

          (1980.12  ボストン)

フィードラーのあと、ボストン・ポップスの指揮者には、スクリーン界の作曲家と思い込んでたジョン・ウィリアムスが迎えられました。
そして録音レーベルも、ボストン響がそうであったように、フィリップスに移動。
J・ウィリアムスの任期は93年までですが、のちにはソニーレーベルにも録音するようになりました。
いつもフィリップス録音をほめちゃうけど、ここでもボストン・ポップスの音は重厚さを増して鮮やかに刷新されたように感じました。
J・ウィリアムスのクリスマスアルバムは、定番のメドレー集クリスマス・フェスティバルをはじめ、クリスマス・キャロルとビリー・メイの作品、ふたつのメドレー集。つまり3つのクリスマス・メロディーを中心に構成されてます。
このあたり、さすがと思わせますね。
あと面白いのは、アイヴズのクリスマス・キャロルが演奏されていること。
いずれも、きっちりした確かな演奏と感じるJ・ウィリアムスの指揮です。

Holiday-pops-1

  Holiday Pops

 キース・ロックハート指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

          (1997.12 ボストン)

1995年からボストン・ポップスの指揮者をつとめるのは、NY生まれのキース・ロックハート。
レーベルもRCAに戻りました。
録音の印象もDGとフィリップスとも違う、落ち着きあるバランスのよい音。
ロックハートは、フィードラー系のライト・クラシックの指揮者かと思いきや、アメリカのメジャーオケは大半指揮してるし、先般もネットでチェコフィルを振ったドヴォザークやヤナーチェク、BBCコンサート管を振ったアーノルドなどを聴いてます。
幅広い活動をしているロックハートのクリスマス・アルバムは、ボストン・ポップスの伝統あるHoliday Traditionalを引き継ぎつつ、新たな目線も加えた新鮮で楽しい1枚です。
歴代が録音していたクリスマス・フェスティバルはここにはなく、ミュージカルから短めのメドレーや、RVWのクリスマス・キャロル幻想曲、ベルリオーズのキリストの幼児から羊飼いの合唱、ビゼーのファランドールなどのクラシック。
もちろん、定番のそり滑りは、ダングルウッドの合唱も加わってナイスなノリの演奏ですが、このCD、全般に落ち着いたラグジュアリーな雰囲気であります。
あと、スノーマンや、ホームアローンといったスクリーンの音楽も。
このホームアローン2は、ニューヨークのゴージャスなホテルやタイムズスクエアのツリーが美しい、感動的なホームコメディ映画でしたが、J・ウィリアムスの曲もあったのですね!
ラストを飾るこの曲、明るくとても前向きな気分にさせてくれる。
しっとりでなく、元気に終わるクリスマスアルバムもまた悪くない。

G-12

これからが本格的な冬を迎える日本。

街は明るい雰囲気だけど、人々は笑顔だけど、でも心のなかは不安がいっぱい、もやもやがいっぱいだと思います。

お願いだから、静かなクリスマスに続いて、静かなお正月を迎えさせて欲しい。

G-10

いまこそ、世界を平和に導いてくれるお方がお出ましにならないものか・・・・

よきクリスマスを🎄

| | コメント (2)

2021年12月19日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」

Mouri-01

六本木の毛利庭園には、ハート型にうまくねじれたモニュメントが通年あります。

冬の夜景が一番しっくりきます。

遠くに東京タワーは、赤のライトアップ仕様。

Hills-01_20211209092401

どんな色が施されても、東京タワーはスクッと美しい。

同期生、ワタシも頑張らねば。

そして、頑張って「サロメ」を乱れ聴いた。

R・シュトラウスのblog2度目のオペラ全作シリーズ。

Image_20211210090001

悩めるヘルデンテノール役を主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」(1894年)
ジングシュピール的メルヘン劇の「火の欠乏」(1901年)

これら、いまや上演機会の少ない2作に続いて書かれた「サロメ」は、シュトラウスとしても当時、興行収入が大いにあがったオペラで、ガルミッシュに瀟洒なヴィラを建てることもできた。
そして、いまや世界中でこぞって上演される劇場になくてはならぬ演目となりました。

原作のオスカー・ワイルドの戯曲は1891年にパリでフランス語により作成。
ドイツでは、独語訳により1901年に上演されているが、同時期にシュトラウスにオペラ化の提案がありその気になった。
しかし、その台本は採用されず、ラッハマンの原作の独語訳を採用することで1903年より作曲を開始、1905年に完成。
同年、ドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として上演禁止にされることもあったという。
前2作以上に、ワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
そうしたものを、実は人間は見たいのである。
 初演時のサロメ役は、見た目はまったく少女でもなく、しかし、こともあろうに、演出のせいもあったが、自分は品性ある女性、倒錯と不埒さばかり。。と駄々をこね、周りを困らせたらしい。
シュトラウスは、16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っていると、自分のことながら皮肉をこめて語っている。
保守的なウィーンでの初演はずっと遅れて1918年。
マーラーのウィーン時代に、当局より検閲を受け、マーラーはシュトラウスあてに、上演できない旨の手紙をしたためているが、この手紙は投函されず仕舞い。いつかは上演できるとの思いもあったのではとされます。
オーストリア皇室の反対が強く、マーラーと劇場の関係が悪化したのも、そうしたことも理由にあるらしい。

日本初演は、ドレスデンでの世界初演から遅れること57年、1962年です。
調べたら、大阪で、グルリット指揮の東フィル、歌手はゴルツや、ウール、メッテルニヒという本場でも超強力のメンバーで、当時の日本の聴衆はさぞかし驚いたことだろう。
いまでは、日本人歌手のみによる上演も普通になされるようになり、半世紀における演奏技術の進化には目をみはるものがあります。
それは、世界的にみてもおなじことで、サロメを歌う歌手たちは、ビジュアル的にもスリムになり、磨きもかかり、声と演技とに、さまざまなスタイルの女性を歌いあげることも、ますます普通のことになった。

さて、シュトラウスの激しく、劇的で、しかも官能と甘味あふれる音楽。
「私はすでに長い間、東方およびユダヤ的側面を持つ音楽について、実際の東洋的な色彩、灼熱した太陽に不足していることを感じていた。
とくにめずらしいカデンツァで艶のある絹のように多様な色彩を出すような、本当に異国風な和声の必要さを感じた。
モーツァルトがリズムの差による人物描写を天才的な手法で行ったように、ヘロデとナザレ人たちの性格を対比するには、単純なリズムで特徴づけるだけでは不十分だと思った。
鋭い個性的な特徴を与えたいという思いから、多調性を採用した」
シュトラウスのこれらの言葉にあるように、サロメの音楽は色彩的であるとともに、描写的にも、これまで多くの交響詩で鍛え上げられた筆致の冴えが鮮やかなまでに生かされている。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「サロメ」を視聴するにあたり、自分の着目ポイント

①冒頭を飾るナラボートの歌

②井戸から引き出されたヨカナーンとサロメの会話~エスカレートする欲求
 「体が美しい」→「黙れソドムの子」
 「体は醜い、髪が美しい」→「黙れソドムよ」
 「髪の毛は汚らわしい、お前のその口を所望する、接吻させろ」
 (ナラボート、ショックで抗議自殺)

③神々しいヨカナーン
 「お前を助けることができるのは唯一ひとり」
  ガリレア湖にいるイエスを歌う場面
  急に空気感が変わる清涼な雰囲気の音楽
  最後は「お前は呪われよ!」と強烈な最後通告を下す!
  そのときの凄まじい音楽

④ヘロデのすっとこどっこいぶり
 「さあ、サロメよ酒を飲め、そして同じその盃でワシも飲むんだから」
 「あまえの小さい歯で果物に付けた歯形を見るのが好き。
  少しだけ噛みきっておくれ、そしたら残りを食べるんだから、うっしっし」
  嫁にたしなめられつつも、お下劣ぶりはとまらない

⑤ユダヤ人たちの頑迷さと、救世主を待望するナザレ人
  それぞれの性格や、混乱ぶりを音楽で見事に表出

⑥7つのヴェールの踊りへなだれ込む瞬間が好き
  単体で聴いたんじゃ面白くない、流れが肝要
  この「7」という数字には意味合いがあるのだろうか?
  キリスト教社会にある、「7つの大罪」とリンクされているのだろうか

⑦ダンスのあとの、おねだりタイム
 H「見事、見事、褒美を取らすぞ、なにが欲しい?」
 S「銀の鉢へ」
 H「ほうほう、可愛いことを言いようるの、なんじゃ、なにが欲しい?」
 S「ヨカナーンの首」
 H「ぶーーっ、だめだ、だめぇーー」
 妻「ははは、さすがは、わたしの娘」

  ここでのヘロデのリアクションが面白いし、音楽も素っとん狂だ

  これまで観たヘロデびっくりリアクションの金賞は、メット。
  キム・ベグリーの思わず酒を吹く芸人魂あふれる演技

Salome-2
   (サロメはマッティラ、かなりきめ細かな噴射でございます)

  ヘロデは、ルビー、宝石のありとあらゆるもの、白い孔雀などなど
  代替の品を提案する。
  シュトラウスの音楽の宝石すら音にしてしまう至芸を味わえる。
  提案のたびに、サロメは、「ヨカナーンの首を」と否定。
  
  この「ヨカナーンの首」を所望するサロメの言葉。
  この場面で、全部で「7回」あります。
  ここでも「」が!

  この7つの「ヨカナーンの首」をそれぞれ表現を変えて歌うサロメもいる
  
  「Gib' mir den Kopf den Jochanan!」
  ヨカナーンの首をくれ、という最後の7つめは壮絶
  ここだけでも、聴き比べが楽しい。
  演劇的な要素も多分に求められるようになったオペラ歌手たち。
  かつては考えられない、多様な歌唱を求められるようになったと思う。

⑧サロメのモノローグ

  あらゆるドラマテックソプラノのロールの最高峰級の場面
  聴き手はもう痺れるしかないが、歌手はほんと大変だ。
  愛おしむように、優しく歌い、
  でも官能と歓喜の爆発も歌いこまなくてはならない
  
⑨おまけ ヘロデのひと声

  おい、あの女を殺せー
  「Man töte dieses Weib!」

  ドラマの急転直下の結末を与える、このエキセントリックなひと声も大事
  いろんなヘロデで楽しみたい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなわけで、いろんなサロメや、オーケストラを聴きたくて、新旧いくつもの音源をそろえること8種類。
映像も4種、エアチェック音源は10種も揃えることとなりました。

Salome-cd

①「ショルティ盤」1961年
1961年、そう、日本初演の前年に、「リング」録音のはざまに、カルショウのプロデュースで録音されたもの。
あのリングの延長上にあるような録音で、生々しいリアルサウンドが、キレのいいショルティの剛直な演奏をまともに捉えたもので、ニルソンの強靭な歌声もいまだ色あせない。
しかしながら、ニルソンはすごいけれど、現代のもっとしなやかで、細やかな歌唱からすると強靭にすぎるか。
全般に現在の感覚からすると、やりすぎで重厚長大な感も否めない。
これ単体とすれば、立派すぎて非の打ちようもないのだけれども。

②「ベーム盤」1970年
CD時代になってから聴いたベーム&ハンブルグ歌劇場の70年ライブ。
ライブのベームならでは。
熱いけど、重くなくて、軽やかなところさえある。
長年サロメを指揮してきた勘どころを押さえた自在な指揮ぶりは、感興たくましく、さまざまなサロメの姿を見せてくれる。
それにしても、最期のサロメのモノローグのすさまじいばかりの盛りあがりはいつ聴いてもたまらない。
グィネス・ジョーンズの体当たり的な熱唱も、ベームに負けじおとらずで、私はがんらい、ジョーンズの声が好きなものだから、彼女の声や歌いぶりを批判する批評は相容れません。
70年代はじめ、オルトルート、レオノーレ、オクタヴィアンなど、メゾの領域もふくめた幾多のロールに起用され、指揮者からもひっぱりだこだったジョーンズ。
あわせてヴェルディやプッチーニも積極的に歌ってました。
私は、そんなジョーンズが好きで、ブリュンヒルデ、イゾルデ、バラクの妻、トゥーランドッドなど、みんな好き。
そう、ニルソンにかぶります。

③「スウィトナー盤」1963年
スウィトナーとドレスデンのサロメ。
味わいの深さと、ベームのような軽やかな局面もあり、モーツァルト指揮者だったスウィトナーが偲ばれる。
63年の録音で、前年に日本初演の舞台に立ったゴルツのサロメが、いま聴いても古臭くなく、なかなかに鮮烈なもの。
チョイ役に、アダム、ヨアヒム・ロッチュ、ギュンター・ライプなど、のちに東ドイツを代表する歌手たちの名前があるのが懐かしいが、準主役級はやや古めかしい歌唱も混在。

④「ラインスドルフ盤」1968年
以前にもブログに書いたラインスドルフ盤は、なんといってもカバリエのサロメ。
繊細な歌唱が、少女から妖女までを巧みに歌いこんでいて、まったく違和感はない。
マッチョなミルンズのヨカナーンとか、レズニックのヘロディアスなんかもいいし、キングのナラボートがヒロイックだ。
オペラ万能指揮者のラインスドルフとロンドン響も悪くない、ユニークだけど、普通にサロメが楽しめる。

⑤「ドホナーニ盤」1994年
まず、録音がいい。ショルティ盤がやや古めかしく感じるほどにいいし、ウィーンフィルのよさもばっちりわかる。
ドホナーニの指揮もかつてはドライに感じたが、いまやそうでもなく、ほどよい湿り気があっていい。
あとマルフィターノが、素晴らしい。
表現の幅が、無限大な感じで、少女から妖女までを声で見事に演じ切ってる。
映像もいくつか見たけど、顔もおっかないし、大胆なダンスも。。。
ターフェル立派すぎ、リーゲルのヘロデはナイスです。

⑥「メータ盤」1990年
なんたって、ベルリンフィル唯一のサロメ。
もうね、誰が指揮者でもいいや。
ともかく、いつものベルリンフィルの音がするし、べらぼーにウマいし、ゴージャス。
シンフォニックにすぎるメータの捉え方もあり。
マルトンは声の威力は十分で、少女らしさもあったりして意外、でも大味。
ヴァイクルは柔和すぎだが、ツェドニクのミーメのようなヘロデも素敵なもんだ。
ファスベンダーがヘロディアスという豪華さ

⑦「ベーム盤」1965年
メトロポリタンでのモノラルライブで、ニルソンの圧倒的なサロメ。
ここでも燃えまくるベームの指揮がすごい。
カール・リーブルという懐かしい名前がヘロデ役に。
クナのパルジファルのクンドリー、ダリスがヘロディアス。
ヨカナーンは知らない人

Salome-sinopoli

⑧「シノーポリ盤」1990年
全体にリリカルなシノーポリのサロメ。
デビュー時の煽情的な演奏スタイルはなりを潜め、予想外のしなやかで、美しく、微細な感情移入にあふれたサロメの斬新な姿。
ステューダーの起用も、そんな意図に裏付けられていて、歌手ありきでもあるし、歌手もそんな演奏スタイルに全霊を注いでいる。
少女がそのまま無垢なまま妖しい女性になった感じ。
不安定さもその持ち味のまま、揺れ動くサロメ像を歌ったステューダー。
リザネック、ターフェル、ヒーステルマンも万全。
最近、一番好きなサロメの音盤かもです。

おわかりいただけただろうか、「カラヤン」がないのを。
なぜかこうなりました。
そのうちが、いつかになり、で、年月が経過した結果にすぎません。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エアチェック編

①「ケンペ&バイエルン国立歌劇場」1973年
 当時のカセットテープから発掘、しかし、冒頭と最後の場面の40分ぐらい。
   むちゃくちゃ熱いケンペの指揮。
 リザネックが伝説級。

②「ホルライザー&ウィーン国立歌劇場、来日公演」1980年
 いまでもウィーンの舞台はこのバルロク演出。
 テレビ観劇もしました。
 リザネックは映像では厳しかったが、さすがの貫禄

③「シュタイン&スイス・ロマンド」1983年
 ジュネーヴ大劇場のライブ。
 シュタインのベームばりの熱気を感じさせる指揮が熱い。
 ミゲネスの芸達者なサロメに、エステスの力感豊かなヨカナーン。
 ロバート・ティアのヘロデに、ナラボートには若きウィンベルイ。

Salome-nelsons_20211218235601
④「ネルソンス&ボストン」2014年

 演奏会形式、鮮度抜群、切れ味よし、最高水準のオーケストラサウンド。
 バーグミン、ニキティン、シーゲル、ヘンシェル、みんないい。
 これはそのままCD化できる。
 音質も最高。

⑤「ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ」2014年
 プロムスへの客演のライブ。
 ラニクルズの熱さと、BDOの手練れのおりなす充実のライブ。
 シュティンメのサロメがじっくり聴ける。

⑥「ペトレンコ&バイエルン国立歌劇場」2019年
 同時配信の映像も見た。
 複雑な心境になる演出で、最後は全員服毒自殺を・・・
 死んでないヨカナーン・・・
 ペトレンコの最高に鮮烈で、生き生きした、しかも切れ味抜群の早めのテンポで駆け抜けるようなオーケストラ。
 ペーターゼンのスリムでリリカルなサロメは、映像を伴わないと物足りないかも。
 でも、その歌は単体として説得力があり、魔性を感じさせる。
 コッホのやや醜いヨカナーンはいたぶり甲斐もあった。
 Unbenannt5
 そんだけ、ビジュアルを伴ったペーターゼンはすごい!
 演出はワリコフスキー。そのうち映像化されるかも。
 盛大なブーを浴びてます。

⑦「レオ・フセイン&ウィーン放送響」2020年

 テアター・アン・デア・ウィーンのコロナ前の1月のけ込み上演。
 ここでもペーターゼンの絶唱が。
 18636_web_1300px_photowerk_salome_bo4_hi
 奇抜な演出の模様は画像でも確認できる。
 バイエルンがいまだに映像化できないのは、こちらがあるからか?
 ウィーンも100年経って変わったものだ。

⑧「ボーダー&ウィーン国立歌劇場」2020年
 アンデア・ウィーンが斬新な演出で上演した同じ月、1月には、本家の国立歌劇場でもサロメ。
 72年からずっと続いているバルロク演出、ユルゲン・フリムの衣装・舞台。
  クリムト風の世紀末と旧約聖書の物語の融合はいまでも色あせない。
 Salome_126761_lindstrom
 美人さん、リンドストロムのサロメが好き。
 北欧出身ならではの硬質さに、繊細な歌いまわし、首おくれ!も迫力あり。
 マイアーの鬼ママもいいし、フォレ、ペコラーロもさすが。
 ただ、前にも書いたが、最後にオケがこけてる・・・・
 同時期に、リンドストロムは、セガンの指揮で影のない女を歌ってまして、そちらもステキ

⑨「ルイージ&ダラス響」2020年
 ダラス響の演奏会形式上演。
 ルイージの明快な指揮に、明るいオケ。
 3fygjfjlhvadpnuaranjpxlkdm
 リトアニア出身のステューンディテはサロメ、エレクトラで引っ張りだこ
 ザルツブルクでのエレクトラもいい。
 しなやか声の持ち主で、今後、ワーグナーを中心に据え活躍期待。

⑩「シャイー&スカラ座」2021年
 Salome-scala
 きっとDVD になるだろうと思うスカラ座上演。
 こういうのは、シャイーはうまい。
 キャストもスカラ座ならではの豪華さ。
 ロシアのスキティナは美人でいま、こちらも引っ張りだこ。
 シーゲル、リンダ・ワトソン、コッホ、リオバ・ブラウンなどなど
 ミキエレットの風変りな演出も見てみたいぞ。
 
映像&舞台編

①「シノーポリ&ベルリン・ドイツ・オペラ」1990年
 昔のVHSテープにて。
 演出は穏健、マルフィターノの、のめり込んだ迫真の演技と歌。
 ダンスではすっぽんぽんに。
 ぼかし必須だ。
 エステスのヨカナーンが凄まじい

②「サマース&メトロポリタン」2008年
 メトにしては、現代風な演出。いまや普通。
 マッティラのビジュアルちょっと無理あるサロメだけど。
 歌は素晴らしい。
 上述のとおりのヘロデのベグリーのすっとこぶりが最高
 ヨカナーンはうしたろう。

③「ガッティ&コンセルトヘボウ」2017年
 演出がわけわからん中途半端っぷり。
 もっとはじけてもいいと思ったけど、そのくせ血みどろなところが苦手
 Salome-netherland
 スリムな美人ビストレムは、強靭さなしの、しなやか系サロメ。
 いいと思う。
 タトゥーンまみれのニキティンもいい
 なにより、ガッティとコンセルトハボウが硬軟合わせた万能ぶり

④「メスト&ウィーンフィル」2018年 ザルツブルク
 以前より活躍していたアスミク・グレゴリアンを驚きをもって聴いた!
 ショートカットのまさに真白きドレスをまとった少女。
 最初はおどおど、やがて顔色ひとつ変えない冷徹な美少女に変身
 そんな演技と役作りを、歌でも完璧に聴かせる。
 ソットボーチェから、強靭なフォルテまで、広大なレンジと声質七変化!
 まいりました!
  ほかの役柄、意味の分からない演出は彼女の前では無力。
 メストとウィーンフィルは無色透明で、これでよい。

舞台は、まだ2回のみ。
新国のエヴァーディング演出、二期会のコンヴィチュニー演出
過去記事リンクになってます。。

ながながと書きました。
いま、サロメのお気に入りは、ペーターゼンとグリゴリアンでござる。

Salome-petersen_20211219002201
  (ペーターゼンのバイエルン、この番号はなに?
   実験動物の遺伝子ID・・・か)
Salome-grigolian
 (グリゴリアンのサロメ、おっかないサロメのイメージはいにしえに)

Hills-20

サロメは、シュトラウスのオペラのなかでは苦手な存在だったけれど、こんだけ集中して聴くと、妙に愛着がわいた。
頭の中が、リングとサロメだらけで参った。
しかし、サロメには、ばらの騎士の音楽の要素もあるんだ。
やはりこうして、シュトラウスならではの音楽を、各処に確認することができたし、オペラ初期2作から、ここに至った筋道も確認、同時に、エレクトラもギリシア劇としての視野が次に用意されたことも、ここに認めることができる。

| | コメント (10)

2021年12月 6日 (月)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ベルリン・ドイツ・オペラ 2021

Momijidani-a

東京タワーの横にある「もみじ谷」公園にて。

今年は青空がやたら青くて、いまのところ連日の晴れ。

赤が映えます。

Re
             (ラインの黄金~ローゲと神々のみなさま)

ベルリン・ドイツ・オペラの新しい「リング」が、昨年から始まって、11月に完了。
RBB(ドイツのネット放送)で、全4部作を高音質で聴くことができた。

ベルリン・ドイツ・オペラのリングといえば、われわれ日本人が通しリングを始めて体験した、ゲッツ・フリードリヒのトンネル・リングが長らく定番として上演されてきました。
それに代わる「リング」
コロナの影響を受けて、「ワルキューレ」のみ2020年、ほかの3作を2021年に相次いで上演して新リングを完成させました。

演出は、人気のステファン・ヘアハイムということもあり、4部作は映像収録され、来年に発売されるそうだ。
お値段次第でポチっとするかもしれないけど、トレーラーを見てなんともいえない気分になるのは、昨今の演出のありがちなこと。
全部見なくちゃわからんが、正直言って、ギャグ満載のリングのパロディ化か・・・・
いや、面白いよ、きっと。。。たぶん・・・・

各役柄にいろんな意味を持たせる手法、それが観劇すれば説得力を持って、劇のなかで大きな流れのなかのパズルのひとつになる。
そうなれば、万々歳なんだけど・・・・ヘアハイム・リングはどうなるだろうか。

Wa
    (ワルキューレ~夫婦喧嘩を見守る群衆、盾もお笑い)

音だけで4部作を聴いての悪印象は、登場人物の歌以外に発する声。
うなり声、叫び声、笑い声、それも下卑たヒヒヒだったり多数・・・、音だけで聴いてると、正直、音楽の感興を阻害することとなる。
で、舞台写真やトレーラーから推察される、それらの声。。
なんで、そんなことまでして、ワーグナーの本来の本質をわざと外して意味付けを行い、解釈をするんだろうか・・・・
アルベリヒと息子のハーゲンのいやらしいヒヒヒはキモイ。
しかも、彼らの顔は、バッドマンのジョーカーそのものだ。
さらに、グンターに変身したジークフリートは、オバQみたいだったww

すいません、つらつらと、ちゃんと全部見て語れってことだけど。

しかし、その演奏面は素晴らしい。
まずもって、長らくベルリン・ドイツ・オペラを率いる、スコットランド出身のドナルド・ラニクルズの指揮が素晴らしい。
ワーグナーやリングを指揮して30年以上、と本人も語るとおり、演出抜きして堂々たるワーグナーを聴かせてくれる。
重厚なれど軽やかで、しかも鮮明で一点の曇りなし。
大きな流れをまず構築しつつ、細部を緻密に積み上げ、壮大かつダイナミックな雄大なワーグナー。
バイロイトでも90年代タンホイザーを指揮、そのころから聴くようになったラニクルズ。
ここで、こう決めて、こう伸ばして、こう、がぁーーっときて、という具合に、ワタクシが思う流れがぴたりと符合して心地いい。
左手に指揮棒、サウスポーのワーグナー指揮者ラニクルズ氏の待望のリングです。
サンフランシスコ・オペラとベルリン・ドイツ・オペラの指揮者であり、英国でもBBC系のオーケストラとの音源多数。
ラニクルズのマーラーやブルックナーも素晴らしいです。

Sieg
        (ジークフリート~ミーメさんと主人公)

ベルリン・ドイツ・オペラのオーケストラの巧さも定評のあるところ。
傷も散見されたが、ピットの中の熱気あふれる演奏を堪能。
神々の黄昏の大団円は、ことさらに感動的だった。

Gotter
  (神々の黄昏~たぶん自己犠牲のシーン、下着まみれ・・・)

歌手では、なんといっても、シュティンメのブリュンヒルデが、安定感と力強さ、しなやかさで比類ない存在を示してました。
しかしね、ヘアハイムって、下着姿が好きなんだよな、ほかの演出でも。
全編にわたって、その下着姿が氾濫していて、ブリュンヒルデにも容赦ない。
ラインの乙女たちも、あられもない姿で、男とアレしちゃうし、下着姿の群衆が、いたるとこでヤリまくってる・・・・
何だこりゃって感じで、R指定になるよこりゃ・・・

ジークフリートで登場したアメリカのテノール、クレイ・ヒレイ(Clay Hilley)が驚きの歌声。
明るく屈託のない、よく伸びる声は自然児ジークフリートにぴったり。
黄昏では、より厳しさも求めたいところだったが、スタミナも十分で最初から最後まで元気な声。
なかなかの巨漢で、動きがアレなのはしょうがないが・・・

ミーメのチュン・フン?(Ya-Chung Huang)もびっくりの発見。
台湾出身の新星で、のびやかでクリアーボイス。
ベルリン・ドイツ・オペラの専属になったようで、今後の活躍も期待。

ウォータン&さすらい人は、スコットランド出身のパターソンで、このバスバリトンも最近ウォータンを各地で歌っており、パリのジョルダン・リングでもそうだった。
やや軽めで、もう少し力強さも求めたいところだけど細やかな歌いまわしは巧みで、アルベリヒやミーメとの絡みは面白かった。
ただラインの黄金では、オーストラリア出身のデレック・ウェルトンがウォータンで、より若々しい雰囲気。
あえて、ラインの黄金のウォータンを異なる立場で描きたかった演出意図なのかもしれない。

あと印象に残ったのは、アメリカのヨヴァノヴィチのジークムントは豊かな実績を裏付ける力唱だし、ダムラウのヴァルトラウテもシュティンメのブリュンヒルデに負けず劣らずの存在感。
ほかの諸役も初めて聞く名前ばかりだが、いずれもベルリン・ドイツ・オペラの水準の高さを物語る歌唱でありました。


「ラインの黄金」

ウォータン:デレック・ウェルトン ドンナー:ヨエル・アリソン
フロー :アットリオ・グラッサー ローゲ:トマス・ブロンデーレ
フリッカ:アンニカ・シュリヒト  フライア:フルリナ・シュトゥッキ
エルダ :ユデット・クタシ      ファゾルト:アンドリュー・ハリス
ファフナー:トビアス・ケラー   アルベリヒ:マルクス・ブリュック
ミーメ :ヤ-チュン・フン    ウォークリンデ:ヴァレリア・ザヴィンスカヤ
ウェルグンデ:アリアナ・マンガネッロ フロースヒルデ:カリス・トラッカー

                      (2021.6/12)

ジョーカーのアルベリヒは、トランペットを手にしつつ、4部作中、ずっと据えられているピアノの中から即、指環を取り出し、黄金強奪となった。
悪魔くんみたいなローゲは、見た目は悪魔に変身したミッキーマウスか?
やさぐれた神々たちも情けない雰囲気。
聴衆から笑い声もあがる(笑)
でも虹色はきれいだな。



「ワルキューレ
 
ジークムント:ブランドン・ヨヴァノヴィッチ   
ジークリンデ:エリザベス・タイゲ
フンディンク:トビアス・ケラー   ウォータン:イアン・パターソン
フリッカ:アンニカ・シュリヒト   ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ

ワルキューレは本物の狼さんが出てるし大丈夫か?
ジークムントはニートみたい。
ピアノから剣を引っこ抜くのは無理筋じゃね?
そうそう、ピアノからみんな登場するね。
ヘアハイムのパルジファルでも、クンドリーは貞子みたいに、穴からせせりあがってきたし。
ジークリンデの感動的な感謝の歌をピアノ伴奏するブリュンヒルデ。
告別シーンはどんなだろ?

見てみたい。



「ジークフリート」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ミーメ:ヤ-チュン・フン
さすらい人:イアン・パターソン アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン
ファフナー:トビアス・ケラー  エルダ:ユデット・クタシ
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ      
森の小鳥:ドルトムント少年合唱団員

          (2021.11.12)

ほぼワーグナーそっくりのミーメ。
ピアノから楽譜を誕生させる楽器職人かい。
それにしてもジークフリートがでかい、小柄なミーメの3倍もあるよ。
大蛇ファフナーが秀逸で、牙がラッパになってるし、そこからファフナーは引っ張り出される。
巻き付けた白い布をジークフリートにくるくるされて、時代劇の悪代官みたいに、あれぇーー、とばかりに、ほれはれほれはれ、されてしまいステテコ姿にされたあげく刺されちゃう。
しかし、大きな疑問は、鳥の声を少年に歌い演じさせたこと。
苦し気だし不安しか感じない。
さらに血まみれで横たわってたし・・・・まさかジークフリートに・・ってか??
ハッピーエンドも、主役の二人以外に、下着男女が乱れまくり、やりまくり・・・・・

なんだかんだで、観てみたいww



「神々の黄昏」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ
グンター:トマス・レーマン   
ハーゲン:アルベルト・パッセンドルファー
アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン グルトルーネ:アイレ・アスゾニ       
ワルトラウテ:オッカ・フォン・デア・ダムラウ・     
第1のノルン:アンナ・ラプコフスカヤ      
第2のノルン:カリス・タッカー     第3のノルン:アイレ・アスゾニ   
ウォークリンデ:ミーチョット・マレッロ 
ウエルグンデ:カリス・タッカー  フロースヒルデ:アンナ・ラプコフスカヤ

             (2021.10.17)

ノルンたちはスキンヘッド、どうでもいいけど、下着マンたちのひらひらはどうにかならんのか?(笑)
元気にピアノを弾くブリュンヒルデ。
ギービヒ家はリッチマンのおうち。
最初は普通の人だったハーゲン、夢に父親が現れてからジョーカー顔に変貌。
ラインの乙女もスキン化してしまうのか?
ラストシーンも下着衆ぞろぞろ、手のひらピラピラ鬱陶しい。

いやはや、やっぱり全部観てみたいww

聴衆の反応のyutubeもあり、歌手と指揮者にはブラボーの嵐。
演出家ご一行が出てくると、ブーが飛んでました。

でも、さすがはドイツ、コロナがまだ蔓延してるのに、リングをやってしまう。
そして、聴衆も演出はアレ?で批判しつつも、ワーグナーを求める心情止み難しで、演奏と音楽には大熱狂。
行かなかったけど、日本でも2年越しのマイスタージンガーが上演された。
世界中、やはり、ワーグナーがなければ生きていけないのだ。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

しかし、35年前に観劇した「トンネル・リング」が懐かしい。
同時期に、二期会による日本人リングも観劇していたが、そちらは新バイロイト風の抽象的な舞台だっただけに、具象的な動きで表現意欲も強かったトンネル・リングは当時の自分には驚異的ですらありました。
映像で親しんだ、シェローのリングや、クプファーのリングも、いまや懐かしの領域に。
いずれも現代の演出からしたら穏健の域にあるが、でもそのメッセージ力は、なんでもありのいまのものからしたら、ずっとずっと強かったと思う。

Momijidani-b

晩秋から初冬を抜かして、本物の冬がしっかりときました。

| | コメント (0)

2021年11月23日 (火)

ハイテインクを偲んで ⑥ オペラ

Gryndebourne-2

グラインドボーン音楽祭のTOPは、このように美しい追悼ページになりました。

ハイティンクは、ロンドンフィルの首席指揮者だったので、おのずとグライドボーンのピットにも入るようになりました。
初登場は、1972年で、「後宮からの誘拐」で、以来毎年指揮するようになり、1978年には音楽監督となり88年までの任期をつとめました。
アーカイブを調べてみたら、1972年から1994年まで、20のオペラを指揮してます。
古い順に、「後宮、魔笛、レイクス・プログレス、ペレアスとメリザンド、ドン・ジョヴァンニ、コジ・ファン・トウッテ、フィデリオ、ばらの騎士、真夏の夜の夢、3つのオレンジの恋、イドメネオ、フィガロの結婚、アラベラ、カルメン、アルバート・ヘリング、シモン・ボッカネグラ、椿姫、カプリッチョ、ファルスタッフ」
これらのなかで、録音や映像作品で残されたものの多数あります。

グラインドボーンで上演し、同じ夏にPlomsでもコンサート形式で取り上げる。
このようにして、コンサートばかり指揮していたハイティンクは、一気にオペラのレパートリーを拡充することとなりました。
実績を積みつつあったハイティンクは、1977年には、コヴェントガーデン・ロイヤルオペラハウスにも登場します。

この1977年には、KBEを拝命しました。

Haitink-roh-1

コヴェントガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウスの追悼SNS。

1987年まで、コリン・デイヴィスが16年の長きにわたり音楽監督を務めたロイヤル・オペラは、後任探しに躍起になっていた頃、待てよ、近くにいるじゃないか、マエストロが!、ということでハイティンクに白羽の矢が立って即就任。
1987~2002年の15年間の音楽監督としての任期。
その前も1977年から通算で27のオペラを指揮しました。
2002年、退任時にはCH勲章(コンパニオン・オブ・オーナー)を受勲。

ROHのアーカイブを調べてみたら、ちょっと驚きの演目もあるし、バレエも指揮してました。
77年の「ドン・ジョヴァンニ、ローエングリン、仮面舞踏会、ドン・カルロ、ピーター・グライムズ、アラベラ、ばらの騎士、フィガロの結婚、パルジファル、ラインの黄金、トロヴァトーレ、ワルキューレ、イーゴリ公、ジークフリート、神々の黄昏、影のない女、利口な女狐の物語、ニュルンベルクのマイスタージンガー、カーチャカヴァノヴァ、シモン・ボッカネグラ、真夏の結婚(ティペット)、修道院での婚約(プロコフィエフ)、ファルスタッフ、トリスタンとイゾルデ、スペードの女王、イエヌーファ」
バレエとしては、ストラヴィンスキー3大バレエ、ロミオとジュリエット
あと、ヴェルディのレクイエム、戦争レクイエム

モーツァルトが主体だったグライドボーンから、ROHに移ってからは、ワーグナーやシュトラウス、ヴェルディを広く取り上げるようになり、重要なレパートリーとしていきました。
リングは個別に、年度ごとにとりあげ、その後、リングサイクルを3度やってます。
ワーグナーでは、タンホイザーを指揮してないのが面白いところ。

ハイティンクは、ロイヤル・オペラでの活動で、「オペラもコンサートもこなせる指揮者という、私の理想としてきた音楽家の姿にやっと到達できたと思います。」と発言してます。

①モーツァルト

Mozart-haitink

伝統あるグライドボーンのブリテッシュモーツァルトを引き継いだハイティンク。
ドン・ジョヴァンニ(1984)、フィガロとコジ(1987)、魔笛(1981)の4作のほかに、イドメネオも映像ではありますが、正規録音はされませんでした。
魔笛はバイエルンで、ダ・ポンテ三部作はロンドン・フィル。
グライドボーンでは、魔笛を3年ほど取り上げてますが、コヴェントガーデンでは指揮してません。
魔笛は録音の前後に集中して上演してます。
オケの魅力、ドリームキャストということも手伝って、ハイティンクのモーツァルトといえば、魔笛ということになってます。
ふくよか音楽造りが、ここではよくマッチしてるし、清潔感あふれる魔笛です。

しかし、ほんとうはダ・ポンテ三部作の方が素晴らしいと思ったりもしてます。
端正にすぎる音楽づくりが、面白みに欠け、愉悦感がないとの指摘もたしかにありますが、そこにこそ、ハイティンクの生真面目さがあっていいんだと思うのです。
モーツァルトの描いた人間ドラマがこうした静かな、あまり多くを語らない演奏から浮かび上がって来る。
歌手も含めてドン・ジョヴァンニが一番優れている。
ザルツブルクでは、ベルリンフィルやウィーンフィルとも、モーツァルトのオペラを指揮しているので、それらの音源化も期待したいところ。

②ワーグナー

Ring-haitink

ハイティンクの初ワーグナー指揮は、1977年のコヴェントガーデンにおける「ローエングリン」で、タイトルロールはルネ・コロです。
そして、パルジファル、リング、マイスタージンガー、トリスタンと順次取り上げましたが、オランダ人とタンホイザーは、そのアーカイブには見つかりませんでした。
タンホイザーは、バイエルンで録音しているので、オランダ人以外はすべて指揮していたことになります。
コンセルトヘボウのアーカイブで調べてもオランダ人は序曲のみ。
オランダ人であるハイティンクが、世界を股にかけて活躍していながら、さまよえるオランダ人を指揮しなかった、というのもなんやら意味深ではあります。

録音として残された最大の成果は、バイエルン放送響とのリングでしょう。
先の、オーケストラもオペラもこなせる指揮者、という発言は、コヴェントガーデンでもリングを通し上演し、ミュンヘンでも黄昏の録音を終えた頃のものですので、やはりリングの演奏を成し遂げたということは、大きな最後の一歩だったということがわかります。

ハイティンクは、こうも言ってます。
録音したリングは、全部通して聴いて欲しいと。
そう、4作のうち、どれが優れているか、あそこがいまいちとかでなく、4部作通して、ひとつの巨大な作品として聴くことにハイティンクのリングの意義があると思います。
ストーリーテーラ的なドラマ重視の演奏ではありません。
レヴァインのようにライトモティーフをそれらしくシネマチックの引き立てる演奏でもない、ベームのような劇場の熱気を感じさせるような演奏でもない、大歌手時代の巨大な録音芸術であるショルテイの壮大な演奏でもありませんし、ましてブーレーズの知的で青白いけど熱い演奏でもない・・・
緻密で室内楽的なカラヤンともちょっと違うが、でもカラヤンの目指したものにも近いかもしれない。
 ハイティンクのリングは、4部作をひとつの作品として大づかみにして、4作を個々の関連性をもとに解釈し、ワーグナーの音楽を徹底的に忠実に、完璧に磨き上げ再現することを目指したものと思う。
その完璧さは、面白くなさもはらんでますが、ドラマテックな演奏なら他にもたくさんある。

ワーグナーの刺激的でない演奏の仕方で、全体音色の暖かさあり、こうして磨きあげられた音はともかく美しい。
高性能だが常に有機的な響きを失わないオーケストラがあってこそ引き出せたものだと思う。
変な言い方だが、ブルックナーやマーラーの長大な作品を念入りに演奏するのと同じようにリングを指揮した感じだ。
 デッカの向こうをはって、レーベルとしての威信をかけたEMIのプロジェクト。
ミュンヘンの録音スタッフを使ったことが功を奏し、録音も素晴らしいが、効果音までデッカの真似をすべきでなかったとも思う。
黄昏の録音の様子をハイティンクがインタビューで語るのを読んだことがあるが、まるまる3週間、ミュンヘンにとどまりオケ、歌手ともども、ほかの用事に駆り出されることもなく集中できたらしい。
同じオケ、歌手、スタッフでやることができて、4作品のお互いの連鎖がしっかり伝えることができた、とも語ってました。

久方ぶりに、通しで聴きましたが、流れのなかで歌手の凸凹も目だってしまうことも。
以前は気にならなかったけど、エヴァ・マルトンのブリュンヒルデをずっと聴くことが辛かった・・・・

Palsofal_haitinkMeistersinger-haitink

ハイティンクのワーグナーの正規盤は、タンホイザー@BRSO(85)、マイスタージンガー@ROH(97)、パルジファル@チューリヒ(07)の3作。
それこそシンフォニックなスタジオ録音のタンホイザーは、リングと同質の演奏だと思うけど、上演のライブであるマイスタージンガーとパルジファルは、劇場空間において、ハイティンクが感興にあふれた自在な指揮を行うこともわかる秀逸な演奏。
マイスタージンガーでは、後半に向かうにつれ、音楽が熱くなり、聴衆の興奮も極度に高まってます。
パルジファルでは、淡々としたなかにも、誠実な音楽造りが深遠な音楽へと結びついていて感動的。
両作品とも、コヴェントガーデンで何度も取り上げてます。
さらにロイヤルオペラを2002年のトリスタンを最期に、退任後はオペラはもう指揮しないかも・・・とされながら、2007年に、再登場してパルジファルを指揮して、さらに同年のチューリヒでの同作の上演となりました。
さらに、同年には、パリでペレアスも上演してます。
パルジファルとペレアスを2007年に取り上げたハイティンク、作品の本質をも見抜いていたと思います。

コヴェントガーデンのアーカイブには、ローエングリンとかトリスタンはないものだろうか・・・・

③R・シュトラウス

Strauss-haitink

R・シュトラウスのオペラは、正規では、ダフネ@BRSO(82)、アラベラ@グラインドボーン(84)、ばらの騎士@SKD(90)の3作。
シュトラウスのオーケストラ作品の指揮を極めたハイティンクは、オペラでもシュトラウスを取り上げました。

ハイティンクの指揮したシュトラウスは、これら3作のほか、「影のない女」と「カプリッチョ」があります。
こうしてみてみると、サロメとエレクトラは指揮しておりませんで、刺激的な作品でなく、品格あふれる作品を好んで取り上げたことがわかります。
透明感あふれる地中海サウンドには、ちょっと重心の低い演奏のダフネだけれど、明るい機能的なオーケストラをえて、充実しきったシュトラウスの緻密な筆致と美しさをしっかり確認させてくれる演奏。

カプリッチョも聴いてみたい。
「影のない女」ROH(92)は、海外ネット配信を録音することができた。
歌手も粒そろいで、ハイティンク向きの魔笛のような御伽噺的なオペラだけに、スケール豊かに、そして愛情たっぷりに聴かせてくれる。
ここでもライブゆえに、後半に向かうほど、音楽は熱くなり、最期の皇后のシーンは極めて感動的。

④ブリテン

Brittenhaitink

グラインドボーンの指揮者を務めると、ブリテンのオペラもおのずと指揮することになります。
ハイティンクのブリテンもいずれも素晴らしかったし、清潔な音楽の作り方がブリテンの知的な作品にもぴったりだった。

真夏の夜の夢@グラインドボーン(81)、アルバート・ヘリング@グラインドボーン(85)、ピーター・グライムズ@ROH(92)の3作。
ほかのオペラは指揮していないようです。
3つとも作品ともに大好きなのですが、なかでも真夏の夜は、ピーター・ホールの描いたシェイクスピア的な世界に、ハイティンクの生真面目な音楽造りがとてもマッチしていて、ユーモアよりも幽玄さを感じさせる点でも、作品の幻想的な側面をよく捉えていて秀逸だと思います。
上質な笑いと皮肉の世界を描いたアルバート・ヘリング、シリアスな内容をシンフォニックに捉え、充実の間奏曲でもってつむいだピーター・グライムズ。

ブリテン以外にも、ハイティンクは近代オペラをかなり指揮してます。
ヤナーチェク、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ティペットなどなど。
もっと聴いてみたいですね。

⑤ヴェルディ

Don-carlo-haitink-1

ヴェルディも生真面目なハイティンク向きのオペラだったと思います。
ただ、正規には、ファルスタッフ‘@グラインドボーン、ROH(88,99)、ドン・カルロ@ROH(85、96)の2作品のみ。
わたしは、ファルスタッフは未視聴で、ドン・カルロのCDのみ。
85年の映像作品は、何故か偶然、ジュネーヴのホテルのテレビで見ました。
ふたつのドン・カルロは、いずれも5幕版によるもので、情熱的な歌は少なめなれど、気品あふれる上質な音楽造りは安心して聴けるもの。
でも、ワーグナーとヴェルディは違う。
ここで、こうもっと・・・と思うシーンもある。
しかし、そこがまたハイティンクらしいところ、弦を中心に、低音をベースにした音たちの重なり合うオーケストラの充実ぶりがヴェルディにおいて味わえるのも楽しいものです。
歌手たちにイタリア系の人がいないのも、このドン・カルロをユニークなものにしてます。

まだ聴いてない、ファルスタッフを今後視聴する楽しみがある。
ハイティンクの指揮したヴェルディは、レクイエム、トロヴァトーレ、椿姫、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会。
なかでも、シモンは録音したがっていたようです。

ハイティンクのイタリア・オペラ、ロッシーニは自分には合わないとしてましたし、ほかのベルカント系は取りあげなかぅた。
プッチーニも指揮することのなかったハイティンクですが、とても好きな作曲家だし、蝶々夫人だけは取り上げてみたいと発言しておりました。

     -------------------------

オペラのハイティンク、高評価を得ることが少なかったですが、残された音源たちは、丁寧に作られた音楽優先の聞き飽きない演奏ばかり。
まだ聴いてないものもありますが、今後も折りに触れ聴いていきたいものです。

1ヶ月も続けたハイティンクの追悼特集。
このへんで終わりにしたいと思います。

Rco

コンセルトヘボウには半旗とハイティンク追悼の幕。

わたしには、やはりハイティンクはコンセルトヘボウ。
コンセルトヘボウは、ハイティンクであります。

真摯な音楽家だったハイティンク、どんなに巨匠として尊敬されても、最期まで謙虚な音楽づくりに徹した芸術家でした。

あらためまして、ありがとうハイティンクさん。
その魂が永遠に安らかならんこと、お祈りいたします。

| | コメント (4)

2021年11月14日 (日)

ハイティンクを偲んで ⑤ SKD、CSO、BRSO、LSO

Haitink-skd-a

ドレスデン・シュターツカペレのホームページのハイティンク追悼サイト。

2001年1月のシノーポリの急逝を受けて、オーケストラからの熱いコールを受けて首席指揮者に就任。

このときのハイティンクの言動が、いかにもハイティンクらしい。

シノーポリが亡くなり、その年のコンサートの予定が一挙に指揮者不在のものとなってしまった。
楽団の指揮者・コンサート担当の長は、ハイティンクに書面でいくつかの演奏会の依頼をした。
ハイティンクは、オーケストラが大変なことに陥っていることを知り、長年の付き合いもあったので快く引き受けた。
そうしたら、もう少しお願いできませんか?という依頼がさらにきて、もう少しならということで引き受けて、それらの演奏会を終了した。
そのとき、オーケストラには父親が必要です、あなたになっていただけませんか?という依頼が今度はきた。
ハイティンクは父親というには、歳をとりすぎているお爺さんですよ、それでよかれば引き受けますよ、と謙虚に話した。
ただし、冠はいらないので、「指揮者」ということでお願いしますとハイティンクは念を押した。
しかし、最終的には「首席指揮者」となったんだ、と話している。
2~3年の任期で、オーケストラが次の首席指揮者を見つけるまで、という橋渡しとして、という言葉も残している。

こうした謙虚な姿勢が、各オーケストラから愛され、乞われる存在になったんだと思います。

Haitink_brahms1_20211112152701Bruckner-sym6-haitink

  ブラームス   交響曲第1番

  ブルックナー  交響曲第6番

    (2002.9、2003.11、@ゼンパー・オーパー、ドレスデン)

ブラームスの1番が、ブラームス1番らしく聴かれた堂々たる演奏。
2006年にこのCDを開封して聴いて、すぐに記事にした自分のblogが懐かしい。
ブラームスもいいが、ウェーバーのオベロン序曲もロマンあふれる素晴らしさだ。

ブルックナーは8番もこのコンビは残してくれたが、ここでは、爽快でありながら、後期の作品へのそれこそ橋渡し以上の存在であることをわからせてくれる6番をあげたい。
バイエルン放送響を指揮した80年ごろのエアチェック音源が、この曲の良さをわからせてくれた明るい演奏でもあったように記憶する。

R・シュトラウスも残して欲しかったものです。
オペラでは、「ばらの騎士」と「フィデリオ」のふたつ。
ゼンパーオーパーでオケピットには立たなかったのでしょうか。
オケとオペラのアーカイブは調べられませんでした。

Skd-2004

 2004年の来日公演で、ブルックナーの8番を聴くことができました。
このときのプログラムは、「ジュピター」と「英雄の生涯」、ウェーベルン「パッサカリア」とハイドン86番にブラームス1番。
そしてブルックナーでした。

当時はまだblogを始めてなかったので、そのときの備忘録から。

「演奏はもうまったくのすばらしさで、表現の言葉を知りません。
オーケストラのまろやかな響きに身を任せているとドイツの森に抱かれているかのような気持ちでした。
ことにホルンを始めとする金管はどんなに強奏しても、美しく鳴り響きます。
静寂のサントリーホールに響き渡るドイツの深遠な音をご想像ください。涙が出ました。
ハイティンクはオーケストラのメンバーが去った後も、聴衆のさかんな拍手にひとり何度か登場し、最後はスコアを閉じ、閉じたスコアを高く掲げました。
人柄がにじみ出た、実にいい光景でした。 感動です。」(2004年5月21日 サントリーホール)

ずっと心に残しておきたい、大切な体験でした。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Haitink-cso-1

シカゴ交響楽団のホームページの追悼記事より

ハイティンクのシカゴ登場は、1976年で、そのときの曲目は、ショスタコーヴィチの4番!
ショスタコーヴィチの全集に取り掛かるころの、いかにもハイティンクらしい演目。
いらい、ずっと客演を続けていた。

ドレスデンのときと同じように、シカゴでも正規に音楽監督が決まるまでの中継ぎ的な存在として首席指揮者となりました。
バレンボイムがごたごたした感じで退任し、そのあとが決まらず、首席客演としてブーレーズが活躍。
そして2006年に、ハイティンクを首席に、ブーレーズを名誉指揮者として、次の音楽監督が決定するまでの間の暫定政権が決定。
音楽監督的な立場になると、オーケストラの運営面、指揮者選択など、指揮活動以外の多くの業務が課せられることを、コンセルトヘボウでさんざん体感してきたハイティンクは、ましてアメリカでのことなので、プリンシパルとして年に6~7週シカゴに行くという内容になりました。

それでも、このコンビはこれまた相性もよく、同じころに発足したオーケストラの独自レーベルからのCDがいずれも高音質・最高水準の演奏ということで絶賛続きでありました。
ワタクシも、ほぼ全部揃えました。
ブルックナー7番、マーラー1、2、3、6番、ショスタコーヴィチ4番、英雄の生涯、ダフニス。

Mahler3-haitinkShostakovich-sym4-haitinkcso

  マーラー   交響曲第3番

      Ms:ミシェル・デ・ヤング

  ショスタコーヴィチ 交響曲第4番

     (2006.10、2007.10 @オーケストラホール、シカゴ)

このブログでもベタほめした2枚。
ともにオーケストラの超優秀さと、ハイティンクの悠揚たる巨視的な指揮。
101分たっぷり使ったマーラーは、少しもだれることなく隅々まで丁寧な仕上がりで、柔和なマーラーは3番のイメージにぴったり。
それと6番は、より剛毅な演奏である。

ショスタコの4番のハイティンクの再録音。
楽譜の忠実な再現ではあるが、そこは円熟のハイティンクと最強のシカゴで、音の彫りは深くなり、とりとめない構成が、立派な骨組みの大交響曲となって響く。
ハイティンクは4番が得意で、ベルリンフィルとのライブもCD化して欲しいと思う。

Cso-2009

2009年に来日したハイティンクとシカゴ響。
マーラーの6番と、英雄の生涯のふたつの演奏会を聴きました。

演目は、ドレスデンの時と同じ「ジュピター」と「英雄の生涯」、ハイドン「時計」とブルックナー7番、そしてマーラー。
ショルティとシカゴのマーラー5番を文化会館で聴いたときもぶったまげましたが、このときのマーラーはもっとぶっ飛びました。
サントリーホールで、最前列のチェロの下、ハイティンクは斜め左にすぐの指揮台に。
詳細は、そのときのブログを確認ください。
チェロばっかりで、ほかの楽器がうまく聴こえないのではないかと不安でしたが、そんなことはまったくなく、見事にブレンドされた素晴らしいマーラーサウンドで、下から見上げると、ときおりオケを睥睨するハイテインクの眼力をも確認することができました。
圧倒的な音塊の連続とそのピラミッド感。細部が緻密なまでに完璧で、リズムの刻みが100人のメンバーの隅々にまで行き渡って完璧なまでに縦線がそろっている。じわじわと盛り上がりつつ、とてつもないクライマックスを築きあげる。
いったい、どこが最高潮のクライマックスなのだろうか? (ブログより)

ふっくらと柔和な、微笑みさえ覚えるような素敵なモーツァルト。
もっと、ゴリゴリした巨大な演奏になるかと思ったらまったく違った、清冽で清らかなジュピター。
年輪を重ねた音楽家の紡ぐ人生譚に、尊敬の念の眼差しを持ったシカゴの猛者たちが心服しつつ演奏しているのもわかった。
英雄の生涯もスペクトル感もありつつ、曲の後半訪れる人生の夕映えのようなシーンに感動がとまらなかった。
曲を終えて、静寂のなか、ハイティンクはさりげなくタクトを降ろし、指揮台に指揮棒を置いた。
そのコトリという音さえも、静寂のホールに響いた。

マーラーの6番は、アバドとルツェルン祝祭管で、人生最大級の感動を。
このハイテインクで、ずっと追い続けた演奏家の円熟の極み、そしてスーパーオケの力を。
聖響&神奈フィルで、震災翌日の異様なテンションのなかで・・・
いずれも壮絶な思いでとなる体験をしてます。
もう演奏会では聴かないかも・・・・・

シカゴ交響楽団は、演奏会アーカイブもしっかりしていて、そのいくつかはネットでも公開されてます。
いつかそこから正規音源が出ることも期待されます。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Haitink-brso-1

バイエルン放送交響楽団もハイティンクと馴染み深いオーケストラでした。

コンセルトハボウと指揮者のつながりもあって、なんだか姉妹関係にあるように思ったりもしてます。
ヨッフムとヤンソンスはともに首席指揮者だったし、コリン・デイヴィスもコンセルトハボウをよく指揮してました。
ハイテインクがいつ頃からバイエルンを指揮し始めたか、記録がなくて今回はわかりませんでしたが、70年代初め頃だろうと思います。

上のほうでも書きましたが、バイエルン放送局ということもあり、その演奏会はよくNHKで放送されていたので、ハイティンクとのコンビはいくつか聴いた覚えもあるし、ブルックナーの6番もカセットテープで残ってます。

Mozart_zauberflote_haitink

正規の録音は、1981年の「魔笛」が初(たぶん)で、グライドボーンでロンドンフィルとダ・ポンテ三部作をEMIに録音した後に「魔笛」ではバイエルンを起用したものです。
グライドボーンでもpromsでも「魔笛」は指揮してますので、LPOやコヴェントガーデンでなかったのは、綺羅星のスター歌手を集めやすかったのがミュンヘンだったということもあるんでしょう。
結果は上々、ハイティンクのつくりだす、ふくよかなモーツァルトは、オーケストラの暖かな音色も加えて上質の魔笛となりました。
バイエルンとは、このあとオペラの録音が続きまして、「ダフネ」(82年)、「タンホイザー」(85年)、「ニーベルングの指環」(88~91)という、いまとなっては貴重な成果が残されました。
EMIには、もっと頑張ってもらって、ワーグナーとシュトラウスのほかの諸オペラを録音して欲しかったものです。

Brahms-haitink-1Beethoven-9-haitink-brso

  ブラームス アルト・ラプソディ、埋葬の歌
        運命の女神の歌、哀悼の歌

    A:アルフレータ・ホジソン

      バイエルン放送合唱団

           (1981.11 @ヘラクレスザール、ミュンヘン)

  ベートーヴェン 交響曲第9番

    S:サリー・マシューズ Ms:ゲルヒルト・ロンベルガー
    T:マーク・パドモア  Br:ジェラルド・フィンリー

      バイエルン放送合唱団

         (2019.2.23 @ガスタイクホール、ミュンヘン)

ハイティンクとバイエルン、初期の録音、ブラームスの声楽作品集は、その渋いこと渋いこと。
いぶし銀の音楽であり、その演奏は、まろやかな円熟味をおびた心に優しく響く演奏。
ボストン響との再録音もあり、そちらと聴き比べるのもよい。
しかし、哀しくもなる、儚くもなる、しんみりしてしまうほどに沁みる。。。。

指揮者引退の年の第9。
ゆったりとしたテンポを取りつつも、大きな歩みで風格ただよう名演。
ソロも素晴らしく、彼らも合唱もオケも、動きの少ないハイテインクの指揮棒と眼差しに集中している(映像で視聴済み)。
3楽章の澄み切った演奏には泣ける。
終楽章、なにも華やかでなく、淡々としつつも堂々たる終結。
拍手は起こらない。
こんな静寂の第9のエンディングがあるとは。

Haitink-brso-201902-a

観客はスタンディングオベーションでハイテインクを讃える。
このあと2019年4月にルツェルンで、ブルックナーの6番を指揮して、バイエルン放送響とはお別れということになりました。

Haitink-brso-201902-b

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Haitink-lso-1

ロンドン交響楽団との共演はそんなに昔でなく、1989年。

ブラームスやベートーヴェンのチクルスを演奏会で行い、同時に自社LSOレーベルからも次々に発売し、ハイティンクがロンドンに居宅を構えるのも幸いして、急速に親密になっていきました。
もともとロンドン・フィルと長く関係を築き上げましたが、ロンドン響とも強く結びつきました。

ちなみに、ハイテインクはpromsには、1966年にデビューしてますが、そのときの曲目がブルックナーの7番、オーケストラはBBC交響楽団です。
以来、毎年のように招かれ、ときにコンセルトハボウやウィーンフィル、ヨーロッパ室内管などと客演してますが、ロンドンのオーケストラとは、先のBBC、ロンドンフィル、フィルハーモニア、コヴェントガーデン、ずっとあとにロンドン響という具合に、ロイヤルフィル以外は全部指揮しております。

残念ながらLSOレーベルのハイティンクのCDは、ブラームスの一部しかもってません。
なぜかって、理由はありませんが、CD購入欲が低迷していた時期だからだと思います。

Brams-sym1-haitink1Brams-sym2-haitink1

   ブラームス 交響曲第1番、2番

     (2003.5 @バービカン、ロンドン)

ハイティンク3度目のブラームス全集。
しかしながら、1番と2番しかもってません。
ここに聴く演奏は、若々しさと、一筆書きのような自在さと柔軟さ。
ライブならではの勢いもあって、あの落ち着き払っていた渋めのボストン響との演奏よりも力強い。
きっと、ベートーヴェンのその延長にあるような同時期の録音だと思います。
 LSOとは、ほかにブルックナー4番、9番、アルプス交響曲などがありますので、これからゆっくり聴いていきたいと思います。
2015年のこのコンビの来日も、行こうと思いつつも行けなかった・・・・

ネットでは、ロンドン響のアーカイブがたくさん公開されてます。
手持ちの音源は、マーラーの3,4,9番、ブルックナー4番(2種)、ショスタコ8番などがあります。

引退の年の2019年3月、ハイティンク90歳の記念演奏会も録音できました。
プログラムは、フェルナーのピアノでモーツァルトの22番と、ブルックナー4番。
1965年のコンセルトハボウとの録音から54年という半世紀超。
年月の積み重ねは、演奏時間では一面的ですが、63分から73分という長さにも見て取れるが、老成することの美しさも感じるし、2019年の一連の演奏の数々は、引退を決意したハイティンクの夕映えのような静かな美しさもあるように思う。

2019.2月 BRSO 第9、3月 LSO ブルックナー4番、4月 BRSO ブルックナー6番
5月 BPO ブルックナー7番、6月 オランダ放送フィル ブルックナー7番
8月30日ザルツブルク、9月6日Ploms、9月6日ルツェルン、VPO ブルックナー7番
もう少しあるかもしれませんが、2019年のハイティンクです。

Haitink-lso-201903

ロンドン響との最後の演奏会。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

長い企画となりました、オペラ編を最後に残して、他の共演オーケストラを端折って書きます。

・オランダ放送フィルハーモニー

  ハイテインクの指揮デビューと初ポストのオケ
  ファウストの劫罰が突如発売され驚いたものだ
  面白味は少ないが、真摯なベルリオーズが聴ける。
  引退の年、こちらにも客演してブルックナー7番を指揮  

・フィルハーモニア管弦楽団

  エルガーの2曲と、ウォルトンの交響曲第1番
  アシュケナージとのラフマニの一部

・フランス国立管弦楽団

  最初はパリ管、そのあとはフランス国立菅を多く指揮するようになりました
  マーラーの5番、6番のCD。
  ネットでも動画含めたくさんあります。

・ニューヨーク・フィルハーモニック

  正規音源はありませんが、1976年から2016年まで32回客演。
  いまは有料化してしまいましたが、フリーで解放していたライブ音源。
  マーラー9番とドンキホーテを録音できました。
  2016年のそのマーラーがなかなかのものです。
  コンセルトハボウともに、マーラーと所縁のあるNYPO
  こちらも正規音源化を期待

・ECユースオケ、ヨーロッパ室内管、ルツェルン祝祭管、モーツァルト管

  クラウディオ・アバドの創設した若いオケだったり、スーパーオケ。
  アバドとともに支え、またアバド亡きあとを支え、
  楽団を救ったのがハイティンク。
  いつも世界のオーケストラの急場を救うハイティンクでした。
  人柄ですね。

Haitink-eco

  所蔵音源としては、ヨーロッパ室内管とのブラームス4番
  ファウストとベルクのヴァイオリン協奏曲。
  あとなんたって、ルツェルンとのブルックナー8番はお宝です。

Haitink-lucerne

2019年9月6日、ウィーンフィルとのルツェルンでの最後の演奏会。

あと1稿、ハイティンク追悼、オペラ編で終わります。

| | コメント (0)

«ハイティンクを偲んで ④ VPO、BPO、BSO

 

濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】

濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】:また、東京には専用の配送センターがあり、毎日1000件以上の注文を発送しています。 激安通販販売,セール特価,限定タイムセール濃厚でやわらかなトルコの白いちじく! トルコ産完熟白いちじく(イチジク) 200g デルタ 【ポスト投函便】